アルフ ライラ ワ ライラ

自分の好きな事探し

親戚の家の掃除で気がついた事

f:id:zainap:20200630011020j:plain

叔母夫婦の家の掃除をする事に〉

叔母の家を掃除してほしいと頼まれた。

当時叔母は叔父と二人暮らし。

いとこは部屋を足の踏み場もない開かずの間にしたまま家を出ていて

掃除を手伝う気は全くない。

叔母は手足が不自由で、介護ベッドを置こうにも場所がない。

叔父もガンを患い、性格も卑屈になり、

どうせ死ぬから片付けるつもりはないと言う。

叔母の身体を思い、片付けを手伝う事にした。

 

〈わかってはいたが大変な作業〉

何十個というゴミ袋、雑誌の束を出し、売れそうなものは売却、

半年くらいかけてようやく部屋が使える状態になった。

そんな中叔父が亡くなった。

そして今度は叔父の部屋を片付ける事に。

家の権利書も見つからない。

喧嘩して放り投げたという情報のみだったが、

最後の最後にカビだらけの押入れの中に

布団と一緒に放り投げられているのを発見し

た。

f:id:zainap:20200630010918j:plain

 

〈物の多さと貯金は反比例〉
叔父、叔母の夫婦はそれなりに収入もあり、

普通に生活するには不自由ない貯蓄があってしかるべきだった。

しかし、叔父は仕事を辞めた後はお金にがめつくなり、

叔母のお金をくすねたりしていたようだ。

叔父はギャンブルをするわけでもなく、外の女性ももういない。

なぜ?と思っていたが、掃除をしていくうちに明らかになった。

雑誌の定期購入、宝くじ、服、趣味の音楽、テレビショッピングなとで

購入したと思われる健康グッズほとんど使われた形跡のない物が沢山出てきた。

この家族は、全員が同じようなお金の使い方をしていたのだ。

小さな頃はよく遊びに行っていて、家のいたるところにお金が転がっているのを見て

不思議に思っていた。私の家ではこの様なことはなかったからだ。

でも、それが今に繋がっているんだなと、

そして世の中はそういう人の心を掴みお金を使わせようとするもの溢れていると。

 

〈自分の為より相手のため?〉
叔母は体が不自由ながら今も同じ家で一人暮らしを続けている。

まだ片付いていない部分が多いが、生活できる空間は確保できている。

自分の欲しいものはもうないと言うが

近所の人たち頻繁に差し入れをくれると言ってはそれなりの値段のものを上げている。

私たちが叔母のために用意したものも周りに配ったりしていて、呆れてしまう。

そうか、この人は見栄で人生が形成されているのか、、と。

買い物もお店の人に対する見栄、近所の人との付き合いも、お葬式の費用も。

 

〈物を買うだけでは幸せになれない〉
見栄やコンプレクスの解決は一時的にはお金で解決できたような気持ちになるかもしれない。

でも、根本的な解決にはなっていないし、むしろ手に入れることは必要だろうか?

虚栄心は一時的な気持ちの高揚をもたらすかもしれないけど、

一度そうしてしまうと、それを崩まいとする鎖はどんどん自分に絡みついてしまうんだと感じた。

そして、それに伴って幸せはどんどん離れていってしまうのではないか。

それで失う人間関係はあるかもしれない。

しかし、そのような人間関係は必要なのだろうか?

解放された時、じわじわと本当の自分の幸せを感じることができるのではないか。

そう思った時、本当に捨てるべきなのは、目の前に積み重なったゴミよりも、

虚栄心なのではないかと思った。

 

〈本当に好きな物と暮らしたい〉

自分のために、自分を幸せにする物を選ぼう

そういう物にお金を使おう。

まだまだお金を生かす使い方の答えは見つかっていないけど、

毎回自分の心に問いかけてみよう。

生活の中で自分が大事にしたいと思える物に囲まれたい。

物を大事にする事は自分を大事にする事かもしれない。